サッカー日本代表の監督をされていた岡田監督が、ワールドカップの前の話で「神は細部に宿る」という話をされていました。
例えば、どんなに人前で良い行動をしていても、誰も見ていない日常生活の中でも同じ行動ができているか。
日本には「陰徳」という言葉があります。誰が見ていようと見ていまいと同じような行動が取れるか。
それがプレーの一つ一つに出てくるという意味だと思います。
以前インドのジャイナ教の話題を出しました。自分が座るところの虫を踏まぬように柔らかい布を常に手に持ち、座る場所をはらう。虫を殺さぬように夜は火を使った料理をしないなど徹底しています。
それなのに、インドの0.4%しかない信者が、インドの富の半分を持ち、インドの納税額の20%を納めています。
今、世界はきれいに二分割されています。以前話題に出した、土星の輪、カッシーニの間隙のようです。
蛍も甘い水を選ぶか苦い水を選ぶかという童謡もあります。
今、パリオリンピックで女子体操の宮田笙子選手が、20歳前の喫煙と飲酒が発覚し、出場辞退をするハメになりました。
名前的には笙子(SIYOOKO)さんは、情が豊かで深い世界を生きているため、普通のかたよりも、機微にあふれた性質を持っています。
体操という、競技人生が短いスポーツで、かつ、小さい時から血の滲むような鍛錬をされて来たと思います。
今の日本は誰しもがSNSで、他人を評価したり、批判したりが大好きです。
笙子さんは、情が不覚繊細な性質だけに、周りのコーチや同僚に彼女の孤独感を吸収して力付ける人はいなかったのか不思議です。名前的には、彼女の場合は「あ」音の方が助けられます。
「あ」の世界が側にあれば、タバコやお酒で精神を緩める手伝いをしてもらわなくても良かったかもしれません。
笙子(SIYOOKO)さんは気遣いの人なので、おそらく自分の世界の中だけで、精神的な辛さを解決しようとしていたと思います。
相田みつをさんの言葉に「親切という名のおせっかい そっとしておく思いやり」というものがあります。
彼女は一生背負う傷を負いました。年齢的にもたった一度のオリンピックだったと思います。
後悔を背負って生きていく彼女をマスコミやSNSで批判する事が、情け無い世界だと思います。
学生の頃、体操部の練習を見た事がありますが、あんなに怖い世界に良く取り組めるなと感心しました。特に、跳馬、そして平均台、怖い練習を黙々とこなしている姿に、人間は努力を続けるとあんな動きができるのだと感動した事を覚えています。
私は人生で多くの失敗や裏切りにもあって来ました。たぶん、今回の宮田笙子さんの件もあっという間に忘れ去られるのだと思いますが、彼女の人生ってにはずっと残る記憶です。
今回のオリンピックの辞退の経験があったからこそ、今の私になれた。良かったと言える人生を歩んで欲しいと思います。
人や世間の評判は無責任なものです。
自分が一番苦しい時こそ、本当に大事なものに気づくチャンスです。
頑張って下さい。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。