
脚本家の倉本聰さんが亡くなりました。
ご冥福をお祈りします。お疲れ様でした。
今から、30年ほど前にとある方から無理なお願いをされました。倉本聰さんの主宰する劇団「富良野塾」の『ニングル』という、演劇の公演を、九州は福岡市(博多)だけの開催予定でしたが、どうしても熊本市で開催したいので、手伝って欲しいとの依頼があり、私は会社も初めたばかり正直それどころではなかったのですが、持ち前のお人好しの性格(Y音の弱点です)で全く本業とはかけ離れた世界の手伝いを引き受けた事がありました。もちろん完全なボランティアで、数ヶ月かかりっきりでした。経営者失格です(^^)
やることと言えば、もっぱら裏方の手伝いでした。チケット販売や演劇好きなボランティア集めなど。倉本さんの作る舞台はとてもきめ細かく。たとえば花びら一つでも、紙を重ねて切るときれいに降らないので、1枚ずつ切っていきます。気の遠くなるような作業でした。よっ!裏方です。
劇の内容は、環境を破壊して行く人間に森の妖精『ニングル』が、これ以上の環境破壊をやめて、森を戻せ、このままだと村は滅びると訴える妖精に対して、人間は欲の世界に生きており、環境開発(破壊)を巡って村を二分する様々な人間模様が現れるというテーマだったと思います。今の日本(太陽光発電)そのものです。
当時はバブルが弾けた後で、地元の大手の会社に自然環境の大事さを見つめ直す演劇なのでと、協賛依頼の声をかけても、ほとんどが素知らぬ振りでした。(特に銀行、彼らは本当に現金の世界が物差しです。)景気の良い時は売名のためなら協賛する会社が、バブルが弾けて、先行きの見えない時代に、何が環境かという、けんもほろろのあしらいでした。
苦しい時ほど、人も会社もその本質が現れます。
それでも、なんとか1300枚のチケットをほぼ販売できて公演にこぎつける事ができました。
今回の豪雨による千葉県を中心とした堤防の決壊による被害を見るにつけ、バブル真っ盛りの時にNHKとのトラブルに遭い、東京を離れ、北海道の大自然の中に暮らす倉本さんは、時代の波を冷静に見つめ、未来を見通して警告を発していらしたとつくづく感じました。
このブログは日本語の音について書いているので、この観点から思うに、倉本聰(くらもと そう)(KURAMOTO SOO)という名前は、闘いの世界で力を発揮する音で多く構成されています。
母音だけ見ても、闘いを好まないA(あ)行の音はひとつしかありません。なのに、よくあれだけ人間の持つ愛について、いろんな作品に描かれていたなと思ってました。
お亡くなりになってはじめて知ったのですが、倉本聰さんの本名は(やまや かおる)さん、A(あ)行の音は(や ま や か)と四つも揃っています。本質的に緩やかな愛情の持ち主だったのだと思います。視聴率優先のテレビ業界で生きて行くのは相当に、お辛かったのではと感じますが、その本質的な優しさを(くらもと そう)という、闇の中で闘うにふさわしいペンネームがエネルギーを与えてくれたのかなと思います。
(「やさしさ」と「ただしさ」だけでは、今の乱れた日本では生きていけません。残念ですが。)
もちろん、人間の人生は、山あり谷ありで、名前の音の次元や性質という一面だけでは分からない部分があります。様々な環境により、その現れ方は大きく違って来ます。
ただ、その環境のストレス対して本来持っている名前と言うエネルギーが特徴的に動き出します。自分だけ生き残るために他人をだます人。どんなにきつくても希望の光を持ち続ける人。
最近、私の住む福岡県である県会議員が連日マスコミや世間からパッシングを受けています。悪の手先の一人として、県民から冷たい視線を浴びています。興味深いのは、この方はとてもきれいな名前の音と命流(音のつながり)をされています。他の議員たちはほおっかむりして沈黙していますが、この議員だけは持って生まれた名前の素直さの質が多いため、嘘をつけない、流されやすい。その正直さのためかえって多くの批判にさらされています。
今の日本は、人をいじめて、批判することで自分が偉くなったような気になる空気が多くあります。
もちろん、政治家である以上、県民の暮らしを一番に考えるべきですが、政治家を目指す多くの方は利権や私利私欲にまみれた方がほとんどだと思います。いわゆるお金が神様という世界でしょうか。
問題なのは、この表に出てマスコミに叩かれている議員ではなく、ほおっかむりして嵐が過ぎて行くのを待っている卑怯な、他の議員たちだと思います。このような人たちが、県民に何を約束できるのかなと感じてます。
話がそれてしまいましたが、熊本県立劇場でお会いした倉本聰さんは、とても疲れていらしてました。楽屋を訪れてご挨拶した時に、サイババ風の気功の達人の知り合いもお連れしたのですが、彼女が倉本聰さんを見るなり、すぐ、強い肩の凝りをほぐしてくれたのを思い出します。肩に手を当てて、10分ほどだったと思います。このような交流ができて、裏方としてはありがたい気持ちになりました。
「やまや」(YAMAYA)という愛に溢れた音を持ちながら、あえて、暗闇に飛び込み、人間の本質を探られたのなと感じます。とても勇気のいる方向を選んだ。「くらもと」というペンネームでなければ、NHKとの闘いに葬り去られていたかもしれません。
人間の音に対する感覚は大したものです。
日本は崩れかけていますが、まだ、私たちが太陽系の法則が授けてくれた日本語を使っている限りは助かる可能性もあるのかなと、かすかな思いを持っています。
高市首相が経済の世界を、民(たみ)(TAMI)を済(たす)(TASU)くと所信表明で選んだT音の感性が本当であれば、ピラミッドの一番下からの日本再生に走ると思いますが‥。
本当に日本という国が心配です。
素晴らしき日本語の世界も‥。
長くなりました。本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。





