日本語の音の秘密(志矢木太陀介)

名付けに役立つ話と日本語の音の秘密を書いていきます。表題の太陽系の図はfreepikより。

閑話休題 コロンビア(コーヒー)

息子が、グアテマラのコーヒー豆を「珈琲やさん」で500グラム買ってきたので、しばらく飲んでいました。

 

本日は久しぶりに「珈琲やさん」に来て、コロンビアを頼みました。

個人的にはコロンビアの豆は、よくその豆のサイズも管理されており(焙煎するのにサイズが統一されているのは、火の通り具合を考えると大事な要素です)、味のバランスがとても良い豆です。

 

我が家はペーパードリップで淹れますが「珈琲やさん」はサイフォンで淹れてくれるため、ペーパーとは違う味わいになります。もちろんお湯の温度は65℃です。

 

来週は、ベトナムに支社を持つ知り合いが、地元のコーヒー豆を入手したので(種類は分かりませんが、おそらくアラビカ種)、購入して、「珈琲やさん」に持ち込んで、名人の藤岡さんに焼いてもらおうと思います。

知人は現地のバナナを東京中心で販売するために毎週コンテナで輸出しています。

珈琲豆も今後の貿易の視野に入っているとの事で、今回は豆のレベルを見たいと言ったら、早速入手したとの連絡がありました。

知人も「珈琲やさん」には連れてきたことがあるので、安心して焙煎を任せてくれるみたいです。

 

ゴールデンウィーク明けになりますがまた、報告します。

コーヒー好きな人は楽しみにお待ち下さい。

 

ちょうどお店に、初めて来た大学生2人組と中年の女性2人組がそれぞれ来ていました。

両グループとも、ここのコーヒーは美味しいと言いながら、マスターの藤岡さんから、豆の挽き方や温度などについて話を聞いてました。

コーヒーを愛する人たちの会話は聞いていてホッとします。

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

東京15区 衆議院補選

今、ネット上で東京15区の衆議院補選が連日取り上げられています。

2年前に、1年ほど、江東区に月のうち半分ほど住んでいました。開発の新しい波と古き良き下町の風情のある町でした。

バルコニーから毎日変わるスカイツリーの点灯を眺めました。

 

さて、日本語の音の世界でこの選挙を見てみると、候補者の中で一番興味深いのは

飯山あかり(IIYAMA AKARI)さんです。

名前の音に澱みが一つもありません。

さっぱりと命の流れる世界をお待ちです。だから、本音と建前がほぼ近いと思われます。

 

調べてみると、この党の執行部は百田尚樹(HIYAKUTA NAOKI)さん、有本香(ARIMOTO KAORI)さん、河村たかし(KAWAMURA TAKASI)さん、と飯山あかりさん含めて全員が、苗字と名前の始まりの音が「あ」列、「い」列になってます。

お互いのエネルギーのやり取りができる、矛盾の少ない人物の和ができています。

 

私は、本来政治家がとても嫌いです。

お会いして、気持ちがスッキリする方に出会った事はありません。権力とお金の匂いだけがプンプンして、生命と引き換えに、国民の生活や、子どもの育成などを熱く語り行動する方にお会いした事がありません。

 

この日本という国は毎日、その本来の姿を侵食されています。

イムリミットも近いと思ってます。

 

ある意味、この選挙は今後の日本が日本として残るかどうかの分かれ目だと思います。

 

飯山あかりさんは「日本を豊かに、強く」がキャッチフレーズですが、これに「ただしく」も付けてくださると鬼に金棒かなと思います。

 

今の状況は風が吹かないと厳しいとネット上は分析されているようですが、この党の名前の音の構成を考えると、

もしかしたら太陽系風が吹くかもしれません。

 

いずれにしても、信じられ、憧れられる政治家に当選して欲しいと個人的には思います。

 

本日も最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。

 

 

変わる(KAWARU)

(近くの公園でシャクヤクが咲いていました)

今年は新年から、地震、航空機事故など、大きな出来事が続きました。

喉元過ぎれば熱さ忘れると言いますが、それは直接被害に遭わなかった人達の視線であって、いまだに復旧してない方々は毎日苦しみの中にいらっしゃいます。

大変です。

 

私は熊本地震の直撃を受けました。地震は一瞬でも、その影響は未だ残っています。その熊本は今、TSMCという台湾のICを作る会社の進出で、震源にほど近いエリアは、バブルの時の数倍の地価の高騰もあり、お祭り騒ぎ状態です。「祭りのあと、あとの祭り」にならなければ良いのですが‥。

 

変わる(KAWARU)という言葉があります。

「か」(KA)という喉の一番奥でできる音が、一気に「わ」(WA)という唇の外側に移動します。

太陽系の惑星でいうなら、太陽に一番近い水星から最も外側に近い海王星までを瞬時に移動する動きになります。

人間はいまだに月に行くのが精一杯ですが、口の中では水星から海王星まで、一瞬で移動します。これはおそらく光よりも速い動きだと思います。

 

スピリチュアルの世界で、人間そのものが宇宙と繋がっているとか、宇宙そのものだとか言われます。神道の世界でも人間は神様の分け御霊と言われます。実際に私達一人一人はまさに日常そのような動きを言葉の中だけでもしています。

 

特に日本語はその事実を音の構成で教えてくれます。

この日本語のありがたさに、気づくか気づかないかだけの違いです。そして、その事に感じる(感謝する)かしないかだけの違いです。

 

日常のあまりの目まぐるしさや変化に翻弄されて気づくという繊細な感覚さえ麻痺しているのが現代だと感じます。

 

もちろん、光よりも速いスピードで「変わる」というのは、美しく花を咲かせるように、外からは気づきにくい花が咲かない準備期間があっての事です。

外部からの奇跡を期待するのは虫が良すぎます。

サナギから蝶になるように、その一瞬を迎えられる日常の人生を送りたいものです。

 

宮崎で皮ごと食べられる国産バナナを作っている若い社長が、月のうち三分の一ベトナムに行ってます。その彼とお会いした時に、今の日本の問題の大きな原因の一つは携帯電話の普及だと思いますと言う事でした。

 

便利という名の下、携帯なしでは生きられない人間にしていく。それなしでは不安でたまらない存在にする。

私達は見事に扇動、洗脳の渦の中に入っています。そして、その渦のどの場所に自分がいるかはとても大事です。

 

一番身近な自分の浄化は携帯電話を持たない時間を作ること、あえて携帯を忘れて一日過ごすと違った景色が見えるかもしれません。

 

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

幸せ(SIAWASE)しあわせ

幸せ(SIAWASE)という言葉があります。

 

人間は誰しも幸せになりたいものです。

かつて、黒柳徹子さんの「徹子の部屋」のゲストで高倉健さんが出演された時に、徹子さんから、これからの願いを聞かれたら高倉さんが「しあわせになりたいですね」と答えられました。

 

幸せの基準というのは人それぞれ、千差万別だなと感じました。

 

幸せ(SIAWASE)という音は、前半が(SIA)後半が(WASE)となります。

 

前半の(SIA)は人の心を愛の次元に連れて行く働きの音、後半の(WASE)は、やがて人生の終末を迎えていく衰えの次元の音になります。

山を登って降りていくが如きです。

 

もちろん人間は動物なので必ず死の世界は免れません。前半の(SIA)の世界で、自分をどれだけ高い愛の次元に持っていけるか、どれだけの景色が見えるか、大事な要素になります。

それは、経済的、社会的地位とは別ものであると思います。

 

昨年、とある被害にあった青年実業家の裁判で、私は原告の証人になりました。

今年も、今から起きる裁判で、私の立場での陳述書を作りました。

 

何故、裁判まで行くのか?

それを避けて通る術(SUBE)は、その途中にいくつもありました。

ですが、調子に乗ってしまい、その小さな変化に気づかないと、とんでもない大きな問題になってきます。

 

何度も書いている「トンボのメガネ」の話、現実を踏まえずにお花畑ばかりみていると、戻って来れなくなります。

かつて、覚醒剤の常習者の話を聞いたら、薬を飲むと本当にお花畑にいる気分になると言ってました。あんな楽しいものそう簡単にやめられるものではないと。だから止めるためには今日一日が毎日勝負だと。

 

やはりお花畑は自分が汗を書いて作っていかねばなりません。

今、テレビをみているとお花畑みたいな番組で溢れています。ある意味で覚醒剤の世界と近い気がします。

 

人から与えられたもの。

 

自分で土地を(場所を)探して、土を耕して微生物が豊かな土地にしてから種を植える。そして注意深く育てていく。

 

大切(TAISETU)と大事(DAIJI)という言葉があります。大切は人目に触れないようにしまいこむ。大事は気にかけて、しょっちゅう見る。

子育ては大事です。その変化をしっかり観察して、良い畑で育てる事。

 

テレビやスマホの番組を子どもに与えるのではなく、絵本や散歩など、子どもに語りかける時間はとても大事です。

目には見えなくても染み込んでいくものがあると思います。

 

そのためには、まずは私たちが良い「トンボのメガネ」を持たなければとつくづく思います。

 

本日も最後までお付き合いくださりありがとうございます。

音を知ると不幸になる。

40年前に、師から音を教わる時に、君はとても不幸になるよと言われました。(なってます^_^)

 

その時に、そのおっしゃる真意は良く分かりました。

 

師から離れて40年ほどは、音の理論は意識の片隅にはあるものの、対外的に話をする事は控えて来ました。

 

名前の音と脳の関係、名前の音と心の関係は、今後の研究で明らかになってくると思いますが。そのためには多くの臨床や調査が必要であり、名前の音が脳に与える影響の科学的な解明は、私が生きている時には間に合わないと思います。

それでも、私たち日本人の深い意識の中には、言葉や音に関する感覚が確かに存在していると感じます。

 

頭で師の理論(相対性三次元理論)を理解するのではなく、体感で分かりたいと思っていました。還暦を過ぎ、振り返る事ができる内容も増えてきました。歳を取るありがたさです。

 

その経験を踏まえて考えてみると、名前はその人が生まれた時につけられ、呼ばれていく訳ですが、たとえ、名前全体の音の流れやつながりの悪さ、相性の悪い名前同士でもうまく行く場合があります。

 

その要因は、教養(教育ではない)であり、風です。風は言い換えれば空気感や時代の環境です。

 

人間は油断するとわがままさが出てきます。自分の中でのわがままならまだしも、他人に向かうケースが多いです。離婚はその最たるものです。

幼い子供の気持ちを考えもしません。

おさなごころを傷つけないように自分のわがままさを加減する事ができません。

 

今の日本は本当に自由です。自由すぎて、わがままさ(幼児性)がさらに大きくなっていってます。

 

私の父母の時代は戦前戦中戦後でした。名前もへったくれもない。まず、日本という国が生きのびていけるかの時代。

父は昭和20年6月に特攻隊での出陣が決まっていました。それが、上の兄たちが立て続けに戦死したため、立場的に長男になり、3ヶ月後の9月に後回しの出陣になったそうです。その前で終戦

同期の仲間の多くは、出陣して帰らぬ人になっています。

 

そのような時代を生きた人達に取っては、そもそもの人生観、時代観が違うと思います。周りのために自分のわがままさを抑える精神の強さや、時代の環境があったと思います。

父と母は名前の相性は決して良くありません。ですが、一度も喧嘩したことはなく、死ぬまで仲良しでした。

父母に限らず、こんな生き方をしたら人として恥ずかしいとか、戦争を生き延びた人生への感謝など根底に強い思いがあったと思います。

 

今の時代は、よほど便利になったわけですが、私たちは根っこの強さを失っている気がします。日本という国自体もそう。

 

そうなると、名前の音の次元は良くも悪くも力を発揮してきます。

師からは、名前の音には生殺与奪の力があるといつも言われてました。

昔の日本人が言霊(ことだま)と呼ぶのはその通りだと思います。

私達の気づきと自覚が試されています。

 

ちょっと重い話題でしたが、本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

 

 

 

 

命名の難しさ

赤ちゃん、あだ名、会社名、商品名、ペンネーム、時には源氏名など、私たちは人生において、何回か名付けの機会があります。

 

以前紹介した慶應大学教授の川原繁人さんの本に、ヨーロッパでは音が人に与える影響に気づき、その研究が行われていると書かれていました。

本来は日本人こそ、本質的に言葉の音に対する感覚を持っているのですが、戦後自信を無くした日本人はなんでも海外のマネをし、海外の指標を中心に経済の判断をするようになりました。

多くの日本らしさが失われて来ています。

 

命名は、その文字が現す通り、命(INOTI)の名(NA)です。

時代劇で、名(NA)を名乗れ!とか、名(NA)は体(TAI)を現すというのは正しい表現です。

 

名付けの難しさは、例えば子どもの名前の場合に、親の思いと、子どもの名前の質が一致するかどうかにあります。

 

例えば「心」という文字を名前につける時に、最近では「ここ」(KOKO)という読みを耳にします。「心」という文字は「しん」(SIN)とも読みます。

 

「心」を(KOKO)と読むか、(SIN)と読むかで、呼ばれ続ける子どもの脳の働き(性質)は大きく違ってきます。

乱暴な言い方をするなら、親が成績の良い子にしたくても、子どもの名前の音が記憶の力が弱い子どもならば、どんなに良い塾に通わせても限界があります。

スポーツにしてもしかりです。

 

ですから、親の思いと、子どもの名前の音が近い方が、子供や家庭は幸せです。

大人でもそうですが、苦手な事に向けさせられるのは苦痛でしかありません。

 

また、親子の名前の相性も問題になります。親が子どもにエネルギーを与えられる音の相性かどうか。相性が悪いと親の思いは空回りして、ついつい、子ども自身や配偶者にその責任を押し付けます。

 

周りはたまったものではありませんね。

 

先の例で言うと「心」を(KOKO)と呼ぶと、動と静が極端に出る子どもになります。かつ、男性的な質を持ちます。

環境が悪いと引きこもりになります。(ただ、引きこもる子の方が物事が見えている場合もありますが‥)

 

一方で「心」を(SIN)と呼ぶ場合は、これに続く音の次元に大きく支配されます。

(SI)という音は、一見静かに見えますが、繊細な部分があります。

そのために周りの環境(隣り合う名前の音)に大きく左右されます。

 

そのために、日本語の音の質や働きを学ぶ事は一つの大事な要素になります。

 

本日も、最後まで読んでいただきありがとうございます。

言葉の響き

日本語の母音は「あ い う え お」

の五つです。

 

手の5本の指と同じです。

 

原子の世界は、水素、ヘリウムから始まり、構造が複雑になればなるほど生物にとって有害な物質となります。(放射性物質など)

 

人の世も同じで、多くの人が集まるほど複雑な状況が生まれます。

昔、体育の時間で整列する時に、両手を伸ばして相手と接触しない距離を保って、準備運動に入りました。

星と星が適切な距離を保つように、人間も適切な距離があると思います。

その意味で、都会(TOKAI)に暮らす方々は毎日大変なストレスの中で生きています。

 

都会は「あ い う え お」の「お」(O)の世界になります。

 

ところで、言葉の音の話をすると、言葉の「響き」はどうなんでしょうかという質問が何回かありました。

現在、言葉や地球の周波数などを重視した話を見かける事が多いです。

 

以前、熊本地震で被災して大阪に避難した時があり、そこで、強烈な詐欺師集団と接する機会がありました。

驚いたのは、彼らは、朝起きた時から人を騙す発想ばかりの生き方をしています。素人が勝ち目はありません。

そんな彼らにも弱点があります。

心から清らかな話をする事です。彼らには一切興味のない話なので、途端に落ち着きが無くなります。(土星カッシーニの間隙がそれを教えてくれます)

 

私達に大事な事は、言葉の響きを含めて、目(ME)で矛盾を発見して、耳(MIMI)でウソ(USO)の世界を聞き分ける事。

そのために祖先はM(ま み む め も)の世界を残してくれたと思います。

 

類は友を呼ぶと言いますが、騙される側も、どこかに詐欺師が付け込める要素を持っていると思います。そのために、彼らが寄って来れない日常の自分作りが必要です。

 

最後に、言葉の響きではありませんが、言葉の滑らかさは、名前の音の中に現れて来ます。

40年前に、音を教えてくれた師が、当時テレビのキャスターをされていた「櫻井よしこ」(SAKURAIYOSIKO)さんの語りの滑らかさと彼女の名前の命流(母音が支配します)の素晴らしさを話してくれました。水が全く澱みなく流れる名前(音のつながり)です。

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

 

(写真は見かけたツバメです。彼らは安心できる環境を見つけて子どもを育てます。ある意味人間より偉いです。^_^)