赤ちゃん、あだ名、会社名、商品名、ペンネーム、時には源氏名など、私たちは人生において、何回か名付けの機会があります。
以前紹介した慶應大学教授の川原繁人さんの本に、ヨーロッパでは音が人に与える影響に気づき、その研究が行われていると書かれていました。
本来は日本人こそ、本質的に言葉の音に対する感覚を持っているのですが、戦後自信を無くした日本人はなんでも海外のマネをし、海外の指標を中心に経済の判断をするようになりました。
多くの日本らしさが失われて来ています。
命名は、その文字が現す通り、命(INOTI)の名(NA)です。
時代劇で、名(NA)を名乗れ!とか、名(NA)は体(TAI)を現すというのは正しい表現です。
名付けの難しさは、例えば子どもの名前の場合に、親の思いと、子どもの名前の質が一致するかどうかにあります。
例えば「心」という文字を名前につける時に、最近では「ここ」(KOKO)という読みを耳にします。「心」という文字は「しん」(SIN)とも読みます。
「心」を(KOKO)と読むか、(SIN)と読むかで、呼ばれ続ける子どもの脳の働き(性質)は大きく違ってきます。
乱暴な言い方をするなら、親が成績の良い子にしたくても、子どもの名前の音が記憶の力が弱い子どもならば、どんなに良い塾に通わせても限界があります。
スポーツにしてもしかりです。
ですから、親の思いと、子どもの名前の音が近い方が、子供や家庭は幸せです。
大人でもそうですが、苦手な事に向けさせられるのは苦痛でしかありません。
また、親子の名前の相性も問題になります。親が子どもにエネルギーを与えられる音の相性かどうか。相性が悪いと親の思いは空回りして、ついつい、子ども自身や配偶者にその責任を押し付けます。
周りはたまったものではありませんね。
先の例で言うと「心」を(KOKO)と呼ぶと、動と静が極端に出る子どもになります。かつ、男性的な質を持ちます。
環境が悪いと引きこもりになります。(ただ、引きこもる子の方が物事が見えている場合もありますが‥)
一方で「心」を(SIN)と呼ぶ場合は、これに続く音の次元に大きく支配されます。
(SI)という音は、一見静かに見えますが、繊細な部分があります。
そのために周りの環境(隣り合う名前の音)に大きく左右されます。
そのために、日本語の音の質や働きを学ぶ事は一つの大事な要素になります。
本日も、最後まで読んでいただきありがとうございます。