今の日本での出来事でとても気になるのは、目の前で交通事故や倒れた人がいる時に、すかさず携帯電話を取り出して、救急車や警察に連絡するかと思うと、なんと動画の撮影を始めたり、写真を撮り始める人がいる現象です。
これは犯罪並みに悪質な行為だと思います。完全にSNSの世界に洗脳された人達だと思うと寂しくなります。とっさの動きが救う事で無く撮影する事とは。
昔の日本には「恥ずかしい」という良識がありました。前稿のモンスターペアレントとも関連するのでしょうが、今の時代は人の痛みに鈍感すぎます。私の子供達の時代に家庭でできるゲームが流行り始め、その中で敵を殺すゲームも多くみられました。メーカーは売れれば勝ちとばかり次々に同様のゲームソフトを発売しました。
この事と今の平気で人を殺傷する時代は無関係では無いと思います。殺すより育てる事を重視したソフトが多くなって欲しいものです。
さて、今の政治家達、悪い事が次々に明らかになってます。というか、政治家を志す人の中にそもそもの目的は利権ですか?金欲ですか?というかたがほとんどですね。
本題ですが、第16代天皇の仁徳天皇に関して「民の釜戸」の話はどなたもご存知だと思います。この話を簡単に言うと
「仁徳天皇がある日、小高い山から町を見下ろすと、どの家庭からも炊飯するときの煙が上がっていない。その様子を見て仁徳天皇は国民の生活の苦しさを感じ取り、以降3年間全ての税金の徴収をやめた。
3年後、周りの権力者はもう税金を取りましょうと進言したが、まだ、全ての家庭から煙が出ていないと、さらに数年間全ての税金(労働も含めて)を取らなかった。
当然、仁徳天皇の屋敷も雨漏れなどボロボロになった。思い税金をのがれ、健全になった国民は喜んで無償で仁徳天皇の屋敷の改修を行なった。」
私は、日本の政治のトップが異次元の経済政策と言ったので、実質税率が現在50%に近づこうとしている日本の全ての税金の徴収を数年間止めるのだろうと思ってました。
異次元とはそのレベルの話しかと思ってました。
経済を何も知らない素人の意見かもしれませんが、
本気の本気、次世代の子供達の為に国、国民のために為す政治(まつりごと)とはそういう事だと思います。
「上」(うえ)(UE)と「下」(した)(SITA)という言葉があります。経済(お金)の世界で言うなら今の日本はおそらく90%が「下」(した)になるかと思います。
ただ、ここに大きな落とし穴があります。
「うえ」と、「した」という音。正しく判断できるのは「した」という音の次元です。
私はいつの時代かわかりませんが、「うえ」と「した」の感覚が逆転した気がします。
先の仁徳天皇は「下」の世界に真実(現実)をみて、すぐさま実行した。親は子供を育てる為ならどんなひもじい思いもするものです。も 子供が親の思いに気づくのはずいぶん後になるかも知れませんが。
政治家の皆さんは「下」(した)に学ぶ事を忘れましたね。本当に彼らが国民の親(音頭を取る立場)なら、たとえ、国の経済は危機に瀕しても、民の生きる道を確保して、元気になった民から国を盛り上げてもらう。
これは、私たち「下」(した)の役目かも知れません。
「上」(うえ)の人からは見えない「下」(した)の世界。しかし、「下」からは「上」が見える。
右手と左手に5本ずつ指があります。
太陽系の惑星も小惑星群を境に二つの世界に分かれます。
土星のカッシーニの間隙という輪っかの隙間も実はその事を教えてくれてます。
上は下に学ぶのが宇宙(太陽系)の法則。
ある、九州の大手食品会社の社長と久しぶりにお会いできた時にこうあ言われました。
「なあ〇〇(私の名前)、うちも最近次の世代に移るのでこれぞという人間の役職を上げているのだが、上の役職になればなるほどふんぞり返っているよ。
人間は上に行くほど謙虚になるはずなのだが」と言われました。
私は、「人間は欲の世界に本当に弱いです。山は登ったら降りるもの、課長くらいまでは上を見てるかも知れないけど部長くらいからは降りる(謙虚になって)欲しいですね。自分の欲よりも次の世代を育てて欲しいですね」と答えました。
謙虚な人は元から謙虚です。運の良い方は謙虚の大事さを説く上司に恵まれたり、外部の刺激(良識や本や、映画や)で気付くかも知れませんが。「実ほど頭をたれる稲穂かな」の精神は大事ですね。
いずれにしても、今現在、令和(REIWA)の音の次元通りに日本が進んでいるのが心配です。天罰が原因を作った人達にピンポイントであたれば、当然の帰結ですが、往々にして周りを巻き込んでしまうのでやっかいな事になります。
今回は、理想的な治世の視点があった仁徳天皇(今の政治家)の話と、上(うえ)と、下(した)の感覚が反対になった日本語の音の話でした。
最後までお読みいただきありがとうございます。