日本語の音の秘密(志矢木太陀介)

名付けに役立つ話と日本語の音の秘密を書いていきます。表題の太陽系の図はfreepikより。

耳(MIMI)を疑う 

前のブログで『ママ』『パパ』の事を書きました。

 

このブログを書く時にいつも気を配っている事があります。それは、一面だけで音をとらえない事の大事さです。

 

日本語の訓読みの素晴らしさ、それは太陽系の惑星の成り立ちと相似していると言う事をベースにしています。

では、外国語は全くダメかという方もいらっしゃるかもしれません。日本語の場合は、穏やかな四季の変化や温暖さ、戦争による言語の違う民族の移動などが少なく一定の法則に基づく言語が育ちやすかった事があります。

大変、難しい問題ですが、一つの例として、『ママ』「パパ』を例に取って説明してみます。

 

最近、日本の町中に熊が出没する話題がよく報道されます。以前、何かの本で読んだのですが、たとえば母子が熊に襲われそうになった時、日本の母親は熊に背を向けて我が子をたたむようにして守ろうとする。

それに対して、外国の(多分欧米の)母親は、我が子と熊本間に立ちはだかって熊の方を見る。我が子は母親の背中がわにいる状態。

これが、『ははうえ』と『ママ』や『マミー』とのわかりやすい違いかもしれません。

どちらが良い悪いというわけではなく、音の持っている質がそうさせる(逆にそういう行動を本能的に取るので、そのような音を選ぶ)のだろうと思います。

 

前のブログでモンスターペアレントの話をしましたが、上の例で言うと、熊の前に立ちはだかる動きになります。モンスターペアレントの例では熊が学校に変わります。

ただ、この場合の熊は人間を襲う=悪という捉え方です。モンスターペアレントの場合は学校=悪になるのでしょうか。

 

教育や学校のあり方は深い問題を含むので、ブログで簡単に述べられるような事ではありませんが、基本的な知識をつけた後は、世間の良識や社会生活における学びや体験がとても大事になると思います。

 

大学の卒業論文で、民間と教員を定期的に交流させる事をテーマに書きました。下手をすると、今の学校の教師は幼小中高大学と一生学校という枠にいてしまう。逆に民間企業の方は、次世代の子どもを育てるという意識が欠如しがち。だから、お互いの弱点を補い合う方法として数年おきの交流はどうかという提案の論文でした。もちろんいわゆるシャバを知らない学生時代の論文なので今思えば未熟な提案でもありました。

思うに、日本語が危機に瀕するように、教育の現場も乱れて来たようです。元来、日本人は協力できるお国柄があると思います。

お互いが自分の主張を全て通すのは難しい。特に、今の世は常識が常識で無くなって時代の流れがあります。政治家の舵取りはまさに真剣でないといけません。エネルギーとしてのお金はとても大事ですが、政治家は国を背負う立場ですから裏金とかで翻弄されるのはとても恥ずかしい状況です。しっかり役割を果たしておけばここまで非難されない気がします。

 

音の話に戻るとM音(まみむめも)は日本の主食(こめ、まめ、いも、むぎ、みそなど)に使われる能力の高い音ですが、それだけに名前の一部に使われると、絶対を主張しすぎる部分があります。

私の経験では、M音の方が、静かな環境で生活されている時は、本当にパーフェクトなものの見方をされている方を数名か見かけた事があります。ただ、今の日本の社会はストレスが強く、M音に良い面が出にくい現実があります。

M音の能力を感じた例として映画で『モリのいる場所』という画家、熊谷守一(山﨑努さん)と妻(樹木希林さん)の数日を描いた沖田修一監督の作品があります。この中で、守一が昨日は庭に生えてなかった植物に「お前どこから来た?」と呼びかけたり、アリを観察して動き出す時に左足?の2番目の足から先に動くという話がありました。M音のパーフェクトを求める性質が良く出てると思いました。

先程述べた、静かな世界でのM音の能力の例です。

 

さて、長くなりましたが、今回のテーマ『耳(MIMI)を疑う』や『目(ME)をみはる』『目(ME)をこらす』など、日本人の感覚器官にM音が使われています。

これは、見るもの聞くものに間違いがないかしっかり判断しなさいという音の意味が含まれています。

これに対して、英語では耳を『イヤー』目を『アイ』という音で呼びます。濁りや迷いのないきれいな音を使っています。これは目で見たもの、耳で聞こえたものが全て真実という働きがあります。

この違いは日本語と英語圏の文化の違いにもつながる気がします。

五感を研ぎ澄ますという表現がありますが、音の世界から見ると日本語の世界の奥深さが見えて来ます。

 

本日も最後までお読みくださってありがとうございました。風邪気味だったので、いつも飲むコーヒーの味が正常に感じる体調になるまで、投稿を控えました。

日本語の音の世界の繊細さ(無の世界)を言葉にするのはなかなか難しく、投稿後に説明が足りなくて、誤解を招くかもと反省しながら書いてます。