野球の試合などで、野次(やじ)(YADI)を飛ばしたりします。
そもそもの「やじ」(YADI)には愛(AI)があります。ある意味、やじを飛ばす側にも心に余裕があります。
江戸時代の「弥次喜多(やじきた)珍道中」の物語もユーモアのある話です。
また、日本語には恥(はじ)(HADI)という言葉があります。世間に対して恥ずかしい事はしない、自分の心に対して恥ずかしい事はしない。
大人が子どもに「はじ」(HADI)という言葉を教える時に、そこには愛(AI)があります。「はじ」(HADI)のHは時間と関係します。なすべき時になすべき事ができない。タイミングを間違える意味も含まれます。
私は喫煙者で、いつも肩身の狭い思いをしますが、心がけているのは、常に吸い殻入れを持って、自分が喫煙する時には周りに落ちている他の方の吸い殻を必ず拾うようにしています。マナーの悪さで非難されたくないからで、自分たちで自分達の首を絞めたくはありません。
これも「はじ」の一つの行いと思っています。
一時期「いじめ」(IDIME)という言葉が、学校や職場で良く使われていました。最近はあまりに「いじめ」が普通になり、目立たなくなった気がしています。(悲しい事です)
まず、国が国民を重税でいじめています。いじめを感じるのは、おそらく、誰もが納得する目に見える税金の使い方がなされていないからだと思います。
日本人は懐が深いのでなかなか暴動は起きません。恥(はじ)の心得があるからです。
ただ、その抑えた気持ちも、令和(REIWA)の(WA)=終末に来ているようです。政治を司る人達はわかっているのでしょうか。下(SITA)の人達とたくさん接しないとわからない事です。
あまりにも「いじめ」が普通になり、SNSなどでも、無責任な批評や非難が溢れています。もちろん、力が弱く表に出せなかった悪事を表現できる場としての面もあります。その意味ではSNSは諸刃の剣だと感じます。より高い判断力が求められます。
「いじめ」(IDIME)にM音が付くと「みじめ」(MIDIME)になります。M音の絶対性を主張する部分への「たしなめ」(TASINAME)でもあります。自分さえ良ければの考えは、小さな世界へと堕ちていきます。
今、日本にも多くの外国人が入ってきています。日本語の素晴らしさをしっかり教える日本語学校での授業は必要だと感じます。とある方から聞きましたが、日本に来た外国人が日本語を学んで変わった事は、自分自身がより優しい気持ちを持つ事ができるようになったと感じる人が多いそうです。
日本語の中に、その要素があるからだと思います。
だからこそ、範を示すべき私たち日本人が、しっかり生きなければいけないと思います。
日本の国を思って生きた二人の男女、
「おもしろき こともなき世を
おもしろく
すみなすものは 心なりけり」
という歌があります。
こんな時代になってしまったからこそ、心やたましい
をしっかり保たなければと感じます。
本日は長い文章を最後までお読みいただきありがとうございます。
今、日本は大きく分断されています、どうぞこのブログを同じ心持ちの方にご紹介ください。
仲間(NAKAMA)を増やしたいです。
(※ 写真はアクアリマンという石です。
久しぶりに手に取りました。喜んでくれている気がしています(^_^))