良く、「平和」という言葉が使われます。
「平和」(HEIWA)を望むという事は、音の働きとしては、争いを望むという働きをもたらします。
強く望めば望むほどそのエネルギーは当然に強くなります。
以前お話しした、訓読みと音読みの大きな差の一つです。世界が平和になりますようにと祈り、争いを巻き起こすエネルギーに変わる。
ここが音の世界の難しい所です。無意識のうちに働くので、気付きにくい世界です。
このブログを読まれる方の中には、そうは言われても、たかだか音じゃないかと思われる方もいらっしゃるかも知れません。
(HEIWA)という音は、我先にと急ぎ、相手を出し抜いて、破滅の世界へ導く働きがあります。
どこかでパチンコ屋さんの名前で「平和」とついているのを見た事があります。
こちらの方が、音と働きが合っています。もしかしたらこの屋号を選んだ方は、音の働きを知っていたのかも知れません。
しかし、誰しもそのような悲観的な事は望まずに、純粋な気持ちで、「平和になりますように」と祈ると思います。
日本語の音の働きやエネルギーは怖いと思いませんか。
先日述べた、谷川俊太郎の詩の一節ではないですが、
「隠された悪を注意深く拒むこと」は大事な事です。
このような内容を書くのはためらいましたが、このブログは日本語の秘密を書いていくので、隠さずに素直にしたがう事にしました。
もし、概念としての「平和」を望むなら、訓読み風に言えば「平(たい)(TAI)らけく、和(やわ)(YAWA)らいで」となるはずです。それで、言葉と働きが一致していきます。祝詞(のりと)風になりますね。
私は詳しくはありませんが、量子物理学の世界はずいぶん進化しており、量子コンピュータも開発されて実用化が進んでいます。
おそらく、人間の想い(OMOI)そのもの にも何らかの重さや働きがある事も、やがて判明していくのではないでしょうか?
そうでなければ、祈るという行為は起きてこなかった気がしています。
今回は少しタブー(TABUU)に触れたかも知れませんが、このまま掲載します。
あっ、タブー(TABUU)という音もかなり深い働きがありますが、今回はこの辺で。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。