今日は2月4日、立春です。
日本語は四季の自然とともに生まれて来た世界でも類のない言葉です。
特に訓読みの世界はその歴史を表しています。
立春「りっしゅん」(RITUSIYUN)では、その意味を音が表していません。
春(HARU)が立つ(TATU)ならば、「は」(HA)という時を表す音が「る」(RU)のRの世界で動き出すという働きです。「る」はRUのU(地面の下)がうごめき出すという音で、地中の虫や、土壌の中の菌も活動を始める時です。梅(UME)は「う」(U)の次元のため、桜(SAKURA)の(A)の次元より早く反応して、その花を咲かせます。
立春の前の日が、節分(SETUBUN)です。これも立春と同じく音が意味を表していません。節(ふし)(HUSI)ならば、心の時を沈めるという働きなので、時のけじめとして合っています。「分」の「分ける」(WAKERU)は、WAが唇の一番外側ででき、KEは反対側の喉の奥でできます。つまり、終わりと始まりを表します。時を沈めて、この一年をしっかり見つめ直す。それが節分の訓読みの働きです。
今日という日が、春が立つという事は、いわゆる時が動き始めて、今年やっていく新しい事の始まりとなります。その意味では、一年の計は立春にありそうです。
春は「しゅん」と呼ばず、「はる」と呼んであげたいです。「しゅん」だと気持ちが沈んでいく働きで、何も始まりません。
こんな感覚を思い出していただければありがたいです。訓読みの言葉を作ってくれた祖先も喜んでくれると思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。