「しろかねも くがねもたまも
なにせむに まされるたから(宝)
こ(子)にしかめやも」
訳:銀も金も宝石もどれほどの価値があるだろう。それらにまさるものが子どもなのだ。
という歌があります。
子供は天の神様からの「さずかりもの」と言われて来ました。
「さずかり」(SAZUKARI)とは「あずかり」(AZUKARI)の最初に、心の「S」が入ります。
つまり、子供とは心(S)を込めて「あずかる」存在です。
想像してください。万葉の時代を。現代の文明の利器は何もない時代。電気も冷蔵庫も車も電車もスマホも何もない。
その時代の人達にとって子供を授かる事は、人生の大きな(もしかしたら最大の)喜びの出来事だったと思います。
子どもの預け主は天の神様と言われますが、預かった以上、親は責任を持って養い(YASINAI)、育くみ(HAGUKUMI)、そして巣立ち(SUDATI)させなければいけない。
当時の人々の人生において、子育てにかける思いの強さは想像に絶します。
何もなかったから、余計に大事さがわかっていたのでしょう。だからこそ憶良の歌は今の時代まで伝えられてきたと思います。
かつて、我が家で犬を飼っていました。わりと若くして病気で亡くなりました。
亡くなって5年ほど経ちますが、いまだにその悲しみは消えません。ペットといえども愛らしさは子どもと同じです。(時にはそれ以上です。)
今でも同じ犬種(ミニチュアシュナウザー)を散歩させている姿を見ると悲しくも癒されます。
かつて、有名な作家が結婚式のお祝いのスピーチで「親が死に そして子が死に 孫が死に」と詩を詠んで、結婚式で「死に」という忌み嫌われる言葉を使って場内が静まり返ったという話を聞いた事があります。
これは、とても深い愛に満ちた歌だと思います。自分の子どもが先に亡くなるほど悲しい事はありません(私は長女をたった1日で亡くしました)
それを思えば、先の大戦で、お国のためとはいえ、出征して親よりも早く亡くなった若い方々のおかげで、今の私たちの国や生活があることを思うと言葉になりません。ましてや、わが子が亡くなったという電報を受け取った親のショックは、いかばかりだったでしょうか。
その若者たちを出征させる命令書を、当時「赤紙」(あかがみ)(AKAGAMI)と呼んでました。この(AKAGAMI)という音は、まさに「あ」行の音が3つ重なり(AKAGA)、「み」(MI)(人生の完成の次元)に至る。
つまり、天(AMA)からの死の宣告の働きがあります。
もしかしたら、どなたかが、日本語の音の働きを知っていたのかもしれませんが、私ならこのような音は使えません。
死への通知にこの「あかがみ」という音を使った事に怒りと悲しみが込み上げます。誰しも死にたくはないのです。
今の私たちは尊い命の犠牲のおかげで、今日も生きながらえています。
以前申し上げたように、未来はまだ太陽の光が届いてない闇の世界です。
未来の子どもたちのためにとよく言われますが、日本語の音の理論では、過去(自分の子供の時代)を大事にする事が、子どもたちの将来を守る事になります。
そして、同じように私たちの日本語(訓読みの世界)も過去の存在である私たちの祖先たちが必死の思いで、守り、伝えて来たものです。
師から教わり、伝えるきっかけをいただいた以上は、このブログをお読みいただいている方々には、日本語の秘密を伝えていこうと思います。
※このブログに出てきた言葉は、できれば声に出してその音を耳に入れて(脳に入れて)いただいた方が、音への感覚が磨かれると思います。スマホを見る人が多いので、目だけで言葉を見る人が多いと思います。
本日も最後までお読みいただいてありがとうございます。