(※写真はラブラドライトという石です。
光の加減で、優しい青みがかった色を出してくれます。)
道(みち)(MITI)と言う言葉があります。
以前のブログでも触れましたが、「みち」(MITI)は人が人生で歩むものです。
(MITI)の(I)の世界は地上を表します。
人は生まれたら、お釈迦様が言う通り「生老病死」の地上の道を歩みます。
「みち」の「み」(MI)は人として完成していく(Mの全知全能を目指して)歩みを表します。自分の与えられた人生を自分の理想の形(Mの世界)にしようと生きていきます。年齢で言うと70歳くらいでしょうか。
そのためには、人生のさまざまな困難を乗り切らないといけない、必要になるのが「知恵」(ちえ)(TIE)の世界です。そのために(MI)の後ろに(TI)を持ってきました。
自分の理想の状態(Mの世界)に近づけるためにTの創造の世界を歩む。人は他人の人生を歩む事はできません。T音はその厳しさや孤独な中でも生きていく世界を示しています。
「道」(みち)を歩む途中で、多くの人が集まる場所ができて、そこには高い建物ができます。
地上の(I)が集まって上(Aの世界)に伸びると、町(MATI)ができます。
人はその町(MATI)の(MA)の暖かさ(Aの世界)とそこに潜むM(魔)の中で、やはり「ち」(TI)の創造(自分の仕事作り)や孤独の世界で生きていく事になります。
ただ、この孤独は誰とも接しないのではなく、自分が作った世界(Tの世界)を周りと調和させながら生きていく事で、相手も自分も生かす事ができます。良い意味での「ま」(全知全能)の世界です。
江戸の町はそうだったかもしれません。
もう一つ、人は生まれた以上、「死」に向かって歩む存在です。祖先はそのさまを「道」(MITI)と名付けてくれました。
これは発音して理解していただきたいのですが、「み」「ち」と発音すると、音が、外側から内側に来るのが分かりますか?
「みち」と言う音は、未来から過去に向かいます。滅びへの時間が少しでも短くなるように、また、未来から過去に戻ると言う事は、今の子どもたち(自分にとっての過去)を意識して生きていくと言う事です。
そして、人生には失敗はつきものです。そんな時に少し時間をゆっくり流して(戻して)行こうと言う祖先の優しさが溢れています。
「道」(みち)はひらがな二文字ですが、たったふた文字に子孫に伝えるべき人生の歩み方や考え方をしっかり伝えています。
今の私たちは、ともすれば自分だけが、今だけがの生活になりがちですが、元々、人生の「道」(には)人生を知恵を絞って、自分自身を完成させることや、子どもたちの事を考えて歩む大事さを伝えてもらっている以上、もう一度自分を見つめ直す必要がありそうです。
日本語の訓読みの世界、たかが言葉、されど、言葉です。
本日も、最後までお読みいただいてありがとうございます。